背景としては,HV/EVの静音性関する対策検討委員会(国交省)が設立され,異例の早さで「音による接近通知装置」の新車への装着義務づけなどを示したガイドラインが制定されたことがあります。
しかし,今回の音響学会のSSは,そのような性急な議論から立ち戻って,音の役割を再考しようとするものです。
- 音をつけたから安全と言えるのか?
- そもそも歩行者(含,視覚障害者)は,何を目的としてどのように音を手掛りとしているのか?
招待講演でも指摘されたが,現在の議論は
- 音の付加は緊急回避的な策であり,低騒音型車の発生する音をマスクするほど周辺環境音を小さくすることを考える
- あえて積極的に音を出すことを考える
前者は「これまでの自動車騒音制御の考え方をより徹底する考え方」であると捉えられ,後者は「物理的な音の強さを小さくすることを第一にしてきたこれまでの自動車騒音制御の方向性の見直しにつながる議論」です。音響学会には,長年にわたって自動車騒音の低減に取り組んで来た研究者や技術者が多く在籍しており,この流れを180度転換するような考え方に対する拒否反応は強いグループではあります。
この記事では,この2種類の考え方の方向性,この2種類の考え方の枠に収まらない見解の3つに分けて,SSで交わされた議論を振り返ります。
※なお,文中の(2-3-4)などの数字は,音響学会での講演番号を表しています。プログラムや論文要旨をご参照ください。講演論文は著者に請求する必要がありますが,私にご連絡くだされば各著者を紹介いたします。
● 音の付加は緊急回避対策であり,環境全体で対策を検討する考え方
これは,山崎(2-3-1)や永幡(2-3-5)が指摘しているように,HV/EVのような低騒音自動車から発する音が聞こえないのは,周辺環境音が大きいことが原因であり,このような音を小さくしたり発生を抑制することが本質的な解決であるという考え方です。
岩宮(2-3-4)が指摘するように,「ハイファイなサウンドスケープ」という概念が,この考え方の参考になるものでしょう。ハイファイなサウンドスケープとは
環境の中の様々な音がクリアに聞こえる状態のことを指す概念であり,このような音環境は健常者にとっても快適な音環境であり,聴能力が衰えている高齢者,補助器具が必要な聴覚障害者,発達段階の子供たちにとっても暮らしやすい環境でもあります。講演の中でも述べましたが,私自身も音の付加は緊急回避的な策であり,ハイファイなサウンドスケープを構築することが本質的な解決であると考えています。
(R.マリー=シェーファー)
フロアからの意見でも,音の付加に頼らず,歩車分離の徹底や,歩行者優先という道交法の理念の徹底を行うべきであるなど,交通システムや社会システム全体についての議論に及びました。さらに,「音を付して歩行者に注意を喚起するという考え方は,歩行者に待避という行動を求めるものであり強者の傲慢である」とか「自転車も静かで危険な存在なのに,HVにだけ対策するのは無意味だ」など様々な意見が出ました。
このような,音を付すること以前の根源的な問題を考えることなしに,問題全体を捉えることはできませんが,現実に対策を求める声があり,音を付加するガイドラインを作ってしまったというのが現状です。この状況を踏まえた議論が必要であることはいうまでもありません。
せっかくのディスカッションの場でしたが,音の専門家集団として音響学会がとるべき道についての議論が少なかったことは残念ではあります。
● あえて低騒音車に音を付加することを検討する考え方
まず,田中ら(2-3-2)から国交省の「ハイブリッド車等の静音性に関する対策検討委員会」での検討経緯やガイドラインの内容について概括した発表がありました(くわしくは国交省のプレスリリースをご覧いただくといいでしょう)。これに対してフロアからは,音による接近報知システムを導入する必要性の根拠に対する疑問が投げかけられました。私もその一人なのですが,田中氏の回答には頷けない部分も多く,疑問が残りました。検討委員会では音をつけることありきで議論が進んだという印象を受けました。
ガイドラインでは,音は「車の走行状態を想起する音」,音量は「従来のガソリンエンジン車の音量を超えない程度」とされているにすぎず,具体的なデザインについて検討された事例はほとんどありません。これに関しては,フロアから「従来のガソリンエンジン車の音や音量が必要十分なのかどうか,という時点に立ち返って考えることが必要」との意見も投げかけられました。
この他,桑野(2-3-3)からは,
- 歩車分離が困難な道路では,危険回避のための信号音が必要である
- 現在装備されているクラクションは情動的な影響を与え,反発される可能性があるので不適当である
岩宮(2-3-4)からは,低騒音車に音を付加することを検討する上では静穏性と安全性を両立を考えなければならず,そのためには不必要な騒音を無くすことと,必要な音についてはなんらかの「折り合い」をつけることが必要でありという考え方が示されました。そして「折り合い」をつけるためには,
- 必要性の確認
- 必要音量を明示
- 不快感の軽減
今回は大きく2通りの考え方に分けて議論を整理しましたが,各研究者がどちらか一方のみの考え方を持っている訳ではなく,両方を視野に入れた考究をしているようです。
● より広い枠組みでの静音性と安全性の両立に関する議論
永幡(2-3-5)は「聖なる騒音」という概念を示して,安易な音付けの方向性に対する危険性を示した。「聖なる騒音」とは,
社会的な禁止から免れた非常に大きな音,あるいは騒音のこと。もともとは雷鳴,火山の噴火,嵐などの自然現象が聖なる騒音と考えられ,神々の戦いや神の人々への怒りを表すものだと信じられていた。この類推から,ある時代において,騒音規制の対象から外れた社会的騒音に当てはめる概念(著者による要約)のことです。音による車の接近通知システムの導入は,付加された音を聖なる騒音として神格化することを伴うので慎重な検討が不可欠でしょう。一度導入され,神格化されると,それをやめるのには大きなパワーがいるので,慎重に考えるべきだという意見が示されました。
さらに,フロアからは,現在ISOなどで低騒音車(Quiet Car)の騒音測定規格が検討されているが,これによって最低騒音レベルが規定されることへの危惧を表す意見も寄せられました。
まとめ
当然ながら,このような問題が1時間程度の議論でなんらかの合意に達することはありませんでしたが,ひとつの議論の流れとして
「発生する音が小さくなったことが問題の原因ではあるが,その解決は音の付加だけではないはずである」というものがありました。周囲の環境を静かにするための施策を具体的に示すなど,音の専門家集団としての音響学会の役割が問われると考えられます。今後も音響学会でスペシャルセッションを企画するなど,継続的に議論を交わすべきでしょう。
学会内にも様々な意見があり,ひとつの声明を発するのは難しい(これは,学会の多様性を表すことでもあり,重要なことでもある)ですが,音を付けることだけが解決ではないということを社会へ議論提起することは重要でしょう。
私自身も「音を付けるとしたらどのようなデザインが適切なのか」という基礎研究を重ねる一方,「音を付することによるメリット・デメリット」を実証的に示しながら,社会へ議論提起していきたいと考えています。
また,今回のような議論が音響学会で行われたことを,マスメディア等を通して広く社会へ発信することが重要であるということも,多くの参加者の同意を得ていたように思われます。
(その意味で,ぜひとも色々なところにこの記事を紹介していただきたいです!)
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